Rein’s blog

フィギュアスケートに関する英語記事の和訳を中心に載せています。無断転載はおやめください。

宮原知子選手の現役引退に寄せて(Apr.22.2022)

2022年3月26日、彼女の24歳の誕生日に宮原知子選手の現役引退が発表されました。

 

f:id:remon1083:20220422214716j:image

土曜の昼、ベッドでスマホを眺めていたところ、「@55satokoが投稿しました」というインスタグラムの通知が鳴り、予感を抱えながらすぐさまアプリを開きました。

 

f:id:remon1083:20220422214858j:image

Login • Instagram

「現役引退」の寂しさ、悲しさと「今の私に悔いはありません」「すでに未来への夢がある」という嬉しさ、達成感。インスタグラムの投稿を見たときにはそれらの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。発表されてからほとんど半日も泣いていました。言葉に出来ない気持ちは涙になって落ちていきました。

 

ここ2シーズンほど、現役引退をずっと覚悟していました。いつ彼女がその決断をしても自分が後悔しないよう、現地に行ける機会は逃さぬよう決めていました。そして、いつかは誰しも引退するということは分かっているつもりでした。それでもすぐに受け入れることは出来ませんでした。

大好きなスケーターがもう競技の世界にいないことはとても寂しいものです。先日発表された、スケート連盟の強化選手リストにも彼女の名前はなく、現役引退を少しずつ実感していくのだろうと寂しくなりました。とにかく、それくらい好きなスケーターでした。

 

たまたま動画サイトに上がっていたノービス時代の演技を見て、それからずっと大好きでした。名前を覚えて、ネットで必死に調べて、翌シーズンのJGPSをリアルタイムで見られたときの喜びは今でも忘れられません。どういうところが好きなのか、なぜ好きなのか、当時は全く言語化出来ませんでしたが、「惹かれる」とはこういうことなのだろうと子どもながらに感じていました。

初めて見たときからもう12シーズンも経ってしまいましたが、そのときに感じた「好き」という気持ちがなにひとつ変わることなく、彼女を応援できたことを本当に嬉しく思っています。

彼女は「昔の自分に声をかけるとするなら、こんなに楽しいものを見つけてくれてありがとうと言いたい」と言っていましたが、わたし自身も昔の自分にそう言いたいと心から思っています。

 

応援し始めてから、嬉しいこと、苦しいことなどたくさんのことがありました。2017年の全日本、2018年の平昌五輪の演技は死ぬまで忘れることのない思い出になりました。間違いなく、人生でいちばん幸せな思い出です。多種多様なジャンルを滑りこなし、新たな道を開拓していく逞しい姿も誇らしかったです。彼女がずっと跳びたいと願っていた3Aも目の前で見ることが出来ました。わたしが彼女に抱いた勝手な夢は、すべて叶いました。

 

もちろん、苦しかったこともありました。2013年の世界ジュニア、2017年の疲労骨折。疲労骨折が治っても、体調不良やアイスショーでの捻挫等が続きました。思うように滑ることが出来ない彼女の気持ちを思うと、とても辛かったです。

そして、2021年の世界選手権もまたその苦しい思い出のひとつです。日本に帰ることが出来ず、全日本のために帰国してからは拠点のトロントに帰ることも出来ず、デトロイトで練習した1ヶ月もとても調子が悪かったと語っていました。点が継ぎ目なくきれいにつながって、一本の線のような演技が、ほどけていってしまったように見えました。なにより苦しかったのは、その演技内容ではなく彼女の発言や表情でした。2019-20シーズン以降は自信を失くしてしまうことがあったように見えますが、このストックホルムワールドではそれまでの比ではないくらい、自信を失ってしまっていたように感じました。引退会見でも、「こんな出来なら辞めてしまったほうが良いと思った」と語っていました。わたし自身も、あなたは自分が思っているよりずっと素晴らしいスケーターなのに、と苦しい気持ちでいっぱいでした。

オフシーズンにはBlooms on Ice、Stars on Ice、Fantasy on Ice、Dreams on Ice、THE ICEと精力的にアイスショーに出演していましたが、なかなか調子は上がらず。転機は、8月のげんさんサマーカップとFriends on Iceだったでしょうか。2013年の近畿ブロック以来のローカル大会出場となったサマーカップでは、SPはミスがあったもののフリーですべてのジャンプを着氷して見せました。トスカの気高さを余すことなく全身で表現した演技に、「宮原知子が戻ってきた」と、そう思いました。FOIではトスカで3Aに挑戦するなど、気持ちに余裕が戻ってきたように見えました。引退会見でも、「辞めてしまった方が良い」という気持ちから「これだけやり切ったから辞めても良い」と思えるようになったと語っていました。

 

ストックホルムワールド後のインタビューで、彼女は「最後のピースがなかなか見つけられない」と話していました。わたしが勝手に推測するに、最後のピースは「楽しんで、自分の足で滑る感覚」だったのではないかと思いました。GPSスケートアメリカのSP後のインタビューで、「初めて最初から楽しく滑ることが出来た」と涙を流すシーンがありました。SPは完璧な出来とは行かなかったけれど、その感覚にはきっと大きな意味があるのだろうと漠然と感じました。全日本のインタビューでも出場選手への賛辞を伝えつつ、「自分の足で滑ることが出来た」と言葉を紡いでいたのが印象的でした。

おそらく、その感覚を、最後のピースを見つけられたからこそ現役を引退したのではないかなと思います。彼女の「悔いはない」「やり切った」という言葉が本当に嬉しいです。ファンとしてもやり切った、応援し切った気持ちでいっぱいです。

 

そして、彼女は人生の第二幕としてプロスケーターを選び、そのはじめての舞台がSOIでした。ジェフリー・バトル振付のフレンチポップ"Voilà"、小㞍健太振付の宗教音楽"Stabat Mater"と2つの新プログラムを見ることが出来ましたので、簡単にその感想も述べたいと思います。

"Voilà"は、自分で自分を認めていくという曲です。たまたまこの曲を耳にしたバトル氏が「サトコに滑ってほしい」と連絡したとのこと。なぜ、このフレンチポップソングが彼女と結びついたのでしょうか?2021-22シーズンの元々のSPはバトル氏振付の"Lyra Angelica"で、4月下旬に振付をしたとのことです。ストックホルムワールドで自信を喪失していた彼女を知っていたからこそ、そしてその自分を克服したからこそこの曲で滑ってほしいと思ったのではないかとわたしは考えています。緩急の強い、まるで人の心のようなプログラムでした。

"Stabat Mater"は、バレエダンサーの小㞍氏が陸上で振付をし、それを彼女が氷上に出力していくという手法で生まれたプログラムです。神々しく、まさに不可侵、聖域という言葉が思いつくような演技でした。過去のプログラムの印象的な振付が織り込まれており、ファンとして何か報われたような気持ちになりました。いかに彼女のプログラムが愛されているかが伝わってきました。ひとつひとつのポーズがわたしにとって宝物のようです。フリーと同じ4分間のプログラムですが、音楽構造に沿った振付でこだわりが強く感じられました。これからのプロスケーターとしての活躍を確信するような演技でした。

f:id:remon1083:20220422215343p:image

 

最後に。

ここまで長く応援させてくださってありがとうございました。本当に大好きな選手でした。

平昌五輪をスケート競技人生の集大成の舞台に選ぶことも出来たと思います。でも続けてくれたおかげで、「さとこチャレンジ」を貫き通してくれたおかげで、わたしたちは何より素晴らしく美しいフィギュアスケートを見ることが出来ました。現役卒業、おめでとうございます。これからもずっとずっと応援しています。大好きです。この先もあなたが幸せでありますように。